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​灘区とお酒の関係

 灘にはおいしい酒がいっぱい!

 灘のお酒はとっても有名ですよね。その評判は兵庫県内にとどまらず、近畿地方はもちろん日本全国に轟いており、果ては世界中の方にも灘区のお酒は愛されています。ここまで多くのファンを持つ灘のお酒はどのようにして生まれたのでしょうか。はじめにその歴史を見ていきましょう! 

 灘地方における酒造りの歴史は1624年、西宮での醸造が最初とされているようです。ですが伝承的にはさらに古く1330年ごろより行われていたようです。以後1655年から1736年に至る酒造家が多く、灘酒の勃興期と言えるようです。1716年至って初めて灘の名称が用いられ、さらに1764年に至って灘目と評されるようになり、次第に「灘酒」の姿を整えていったようです。

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1700年代前半の酒蔵番付表

 江戸積みの特権を有する上方酒造業者の株仲間が結成され、1772年には灘目は上灘・下灘として摂泉十二郷のうちの二郷を形成し、それに今津郷を加えた三郷がのちの灘五郷を形成することになります。つまり地域的には広く一般に灘という場合、灘目の他にも今津も含まれ当時この今津と上灘・下灘の三郷が灘酒造業の中核をなしていました。そして、長い時代の変遷を経て1886年に下灘組を除く地域を管轄区域とする摂津灘酒造組合が設立され、現在の灘五郷が確立されました。すなわち西部より、西郷・御影郷・魚崎郷・西宮郷・今津郷です。

 

 今回私たちは灘五郷の中でも菊正宗酒造会館(魚崎郷)を見学させていただきました。こちらの会館はもちろん周りの雰囲気から、少し過去にさかのぼっているような印象を受けました。入館してすぐに、江戸時代~昭和初期まで使われていた様々な酒造用具が置かれている展示室があって、実際に見て学ぶことができます。

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 展示室内は酒造の夜明けの雰囲気を設定しており、薄暗い空間でした。まず私たち一同が感じたことは、全ての用具が「規格外に大きい!!」ということでした。現代に生きていても中々目にしないような大きさの用具がずらりと並んでいる光景は圧巻です!

展示室内に入ってすぐに大砲という大きな樽が置かれています。

この大砲の詳しい説明が書かれていました!

 

大砲…明治時代に牛車から船に変わり、西宮の宮水井戸場より船で運ばれた宮水は、浜で大砲に揚水して、馬車や牛車に積んで蔵に運ばれた。

一般は1.8リットル500本分だが、菊正宗は1.8リットル900本分(す、すごい量!!)

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 そしてここで働いている方からのお話も聞くことができました。

酒造りの要であるお水に西宮のものを使っているのは、圧倒的な美味しさが理由だとのことです。もちろん、西宮からわざわざ運んでくるのは手間がかかることではありますが、そんなことには変えられないのが、お酒だということでした。

 時間には変えられないお酒の美味しさ、歴史に日本酒の真髄を見ました。ぜひみなさんも一度訪れてみてはいかがでしょうか?

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