灘区の歴史・変革
このページでは灘区の歴史・変革について見ていきます!
そもそも灘区とは神戸市にある区の1つです。約120年前の1889年4月の町村性の実施に伴って、灘区にあった小さな村は、六甲村(灘区東部)、都賀野村(現灘区西部)・都賀浜村(現灘区西部)の3つの村にまとめられました。
その後、都賀野村は西灘村に、都賀浜村は西郷町に名前が変わり武庫郡(東は西宮から西は須磨まで)に入っていたのが1929年4月にこれら1町・2村が神戸市に編入され、1931年9月には区制の実施により私たちの『灘区』が誕生しました!
ところで、区名を灘にしたのにはどういった思いが込められているのでしょうか?これは地域が『灘の生一本』で知られる酒どころであることから由来しているようです。ただ、『ナダ』の名称がいつ頃どういう意味で使われてきたのかは未だに分かっていません。
辞典を開くと、『風波が荒く航海の困難な海』といった意味を挙げていますが全国各地の『ナダ』を見てみると、海に面した陸地であるというのが共通していても全面の海は穏やかな所や荒々しい所などと様々です。灘区に接している瀬戸内は比較的穏やかになっています。
灘区の2025年(平成37年)の「区の将来像」は、
「豊かな自然と笑顔あふれる 住み続けたいまち」(*1)と定められています。
そこで、「将来像」の実現に向けての取り組みを進めることを目指す「灘区計画(2016-2020)」では、以下のような基本方針と7つの重点テーマと16の施策を設定しています。
基本方針 「みんなで創ろう!住みよい元気なまち・灘」(*2)
重点テーマと重点施策(*3)
①「つながり」
⑴人づくりを進め、地域力の持続的発展を図ります
⑵団体間のネットワークの強化を図ります
⑶多様なまちづくりの担い手づくりを進めます
②「あんしん」
⑷地域的防犯力・防災力を強化します
⑸安全で安心な環境づくりを進めます
③「思いやり」
⑴一人ひとりが生活マナーの向上を図り、住みよいまち、美しいまちをめざします
⑵環境にやさしいエコのまちをめざします
④「はぐくみ」
⑴地域における子育て支援を充実します
⑵青少年の健全育成に努めます
⑤「やさしさ」
⑴地域における健康づくりを支援します
⑵支援を必要とする高齢者や障がい者を地域で助け合い、支えあう仕組みづくりを進めます
⑶すべての人にやさしいユニバーサルデザイン(UD)を推進します
⑥「やすらぎ」
⑴山や川などの豊かな自然を守り育てます
⑵歴史・文化を生かしたまちの活性化と魅力資源の発信を進めます
⑦「にぎわい」
⑴各地域の特徴を活かし、にぎわいと活力のあるまちづくりを進めます
六甲山・摩耶山 水道筋商業地域 臨海部 都賀川
⑵地域コミュニティ間の交流促進に努めます
そして、これらのテーマに沿って、様々な取り組みが行われています。(*4)
ここでは、①の「つながり」について見ていきましょう!
「つながり」のテーマに沿って、灘区では、人づくり、地域力の持続的発展、団体間のネットワークの強化、多様なまちづくりの担い手づくりを進めるため、様々な施策、事業が実施されています。
様々な技能や知識・経験を有する人材を発掘・登録する、地域人材バンク「なだ人(びと)だな」では、登録者、地域での活躍の機会を増やし、知識や技能の伝承・発信を行うなど、人づくりと地域力の持続的発展を目指しています。
JR六甲道・阪急六甲周辺の商店街では、大学生の発想と行動力を取り入れ、地域の活性化に努めるなど、多様なまちづくりの担い手づくりのために、大学や事業者とも連携しています。私たちが所属する「灘チャレンジ」もその中の1つです!
そして、「灘区計画(2016-2020)」では数値目標も掲げられています!(*5)
④はぐくみ → 区年間出生数 1200人台を維持
⑤やさしさ → 区総人口136,000人台を維持
そして、「灘警察署管内交通事故件数」、「区内立地駅乗降客数」、「六甲ケーブル・摩耶ビューラインの利用者数」などの客観的指標を用いて、数値目標の達成度や取り組みの効果を評価することになっています。
2020年も終わり、灘区計画の成果は出たのでしょうか??
いよいよ2025年の将来像に向けて、より良い灘をみんなで創っていけるといいですね!!
また、ここでは紹介しきれなかったものの、「灘区計画(2016-2020)」において様々な施策が行われてきました。ぜひ一度調べてみてはいかがでしょうか?
引用・参考
(*1)灘区計画 案 ~豊かな自然と笑顔あふれる 住み続けたいまち~ 4頁
mp_toushin04_02.pdf (kobe.lg.jp)
(*2) 同上 4頁
(*3) 同上5頁
(*4) 同上6~9頁
(*5)灘区計画2016→2020